第29話(Bad End)
『すずへ
最後の手紙は特別だと思うんだ。
だから、本当に最後に書いたわけじゃないけど、最後はこの手紙にしてほしいと、頼んでおきました。
つまり、これは最後の手紙です』
私と架純が持ち出したのはお母さんが結婚式の時に使ったウェディングドレスだった。
娘のどちらかが結婚する時にお直しをして使おうと大切にしまってあったものだ。
『すず、君と出会ったのは実はサッカー部に入部した時じゃないって知ってた?』
架純と電車に乗り込む。
「カメラ!忘れた!」
私が慌てていると、架純がカメラを出してきた。
「もう、いつこの日が来るかってずっと準備してました」
『僕が高校3年生になったばっかりの日、
つまりすずが入学したばかりの日、
僕は遅刻しそうで全力で走っていた。
そしたらすずがぶつかってきたんだ。』
「あ!お花屋さん寄らないと!」
架純が言った。
「そうだね。あー、あと牧師さん…」
「牧師さんなんてそんな簡単に見つかるものではありません」
そう言って架純は、カメラを取り出したカバンから分厚い本を取り出した。
「私が牧師をします」
さすがです、と言って頭を下げた。
「この日のために練習してたんだよ~」
「ありがとう」
架純と笑い合う。
『その時、すずは慌てていたからきっと覚えていないね。
でも僕は覚えてるよ。
実は一目惚れしていたんだ。
時々、学校ですれ違ったりしたの、知ってる?』
電車がトンネルを抜けると海が見えた。
シーズンが終わっているから誰もいない。
「海だ」
思わず声が漏れた。
「綺麗だね」
架純が一緒に見ながら応えてくれた。
「大志くんと行った海なんだ」
「そうなんだ。こんな綺麗だったんだね」
停車駅のアナウンス鳴る。
私と架純が降りる。
駅の近くの小さなお花屋さんで花束を作ってもらった。
バラが4本と千日紅も数本混ぜてもらった。
寂しくならないように他にもお任せで束ねてもらい、花嫁のブーケらしくした。
「ねぇ、なんで千日紅もいれたの?」
「私の誕生花で花言葉がね『色褪せぬ恋』なんだ。
ぴったりでしょう?」
「じゃあ、バラの本数にも意味があるんだね」
「もちろん!」
『サッカー部のマネージャーに入部してくれるって聞いた時は驚いた。
嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。
でもすずは僕のことを覚えていなさそうだったから、少し寂しかったけど、かっこいいところたくさん見せようと思った。
でも情けないことに最後の大会、負けてしまった。
あの時、誰よりも悔しそうに泣いていたすずを見て、僕は情けなさと同時に、もう二度とこんな顔をさせないように守りたいと思った。
できれば、すずの隣で。』
海についた。
砂浜は白く、一粒一粒が宝石のように綺麗だ。
「じゃあ、架純、お願いします」
「任せなさい!娘の髪の毛は私が切ってるのよ」
そう言って私の髪の毛を切っていく。
看護師だからまとめやすいようにという理由だけで伸ばしていた髪がどんどん短くなる。
「できた!」
そう言って差し出された鏡を見ると、高校の時と同じ髪型になっていた。
「ほんと、上手!驚いた。でも、私、老けたね」
苦笑いをすると、
「全然変わってないよ。すずはかわいい」
架純が肩に乗った毛を払いながら笑いかけてくれた。
ありがとう、と言おうとすると声がかすれた。
まだだ。
まだ泣くな、すず。
『僕はすずのことが大好きだ。
この世界で誰よりも。
なのに傍に居られないのがとても悲しく悔しい。
もし生まれ変わりがあるなら、すぐに生まれ変わって、会いにいきたい。
どこにいたってすずを探し出すよ。
そしてまた、すずを好きになる』
私はウエディングドレスを被った。
体系が若い頃の母に似ていることに感謝した。
まるで私が着るために仕立てられたようにぴったりだった。
架純がうしろのチャックを閉めてくれる。
『短すぎた僕の人生ではすずの全部を見届けることができなかった。
だから、生まれ変わったら今度こそ、一緒に歳を重ねたい』
「すず、メイク道具持ってきてないでしょ」
あっ!と、思わず声をあげて口を押さえた。
「そうだと思って持ってきた」
架純がメイクポーチを取り出してメイクしてくれた。
「いい化粧品買ったのに子供産まれてからほとんど使ってないな。
でも絶対綺麗にしてあげるね」
閉じたまぶたから涙が伝いそうになった。
気配を感じた架純が「まだだめ」と小声で囁いた。
「すず、目を開けて」
架純が鏡を渡してくる。
看護師で薄めの化粧をしていたから余計にいつもと違うのがわかる。
「どう?」
架純が心配そうに鏡ごしに覗いてくる。
「私じゃないみたい」
私は鏡ごしに架純に笑いかけた。
『でも僕が会いにいくまでの間、
すずには寂しい思いをさせてしまうね。
それに、生まれ変わりなんてないかもしれない。
長い夜を泣いて越してしまうかもしれない。
そんな時は覚えておいて。
僕は必ず、すずを見守っているから』
「では、これより中川大志くん、すずの結婚式を始めます」
私はブーケを持って架純の前に立った。
「指輪の交換の代理を私、有村架純が勤めさせていただきます」
架純の手にはシルバーのリングがあった。
これは今日届いた大志くんの最後の手紙と一緒に届いた、あのおじいちゃんからの手紙に入っていたものだ。
まさみさんが代筆した手紙にはこう書いてあった。
『広瀬すず様
約10年もの間、この郵便局をご愛顧いただきありがとうございました。
本日お送りいたしました手紙でお預かりしている全ての手紙の発送が完了いたしました。
長年のご愛顧ありがとうございます。
ささやかながら感謝の気持ちを込めまして、
こちらの指輪を贈らさせていただきます。
この指輪は手紙の送り主であった中川大志様がこちらで勤務されていた時、「結婚指輪はこれがいい」と、幸せそうな笑顔で私たちに仰っていたものです。
もちろん、中川様が広瀬様に贈られた指輪と同じお店のものです。
ほんの気持ちとなりますが、受け取っていただけますと幸いです。
p.s.今でも中川様の純粋無垢な笑顔を思い出しては、励まされています。
想いを届けるちょっと変わった郵便局より』
指輪は大志くんから贈られた指輪を守るように、薬指にはめた。
サイズはぴったりだった。
そして少ししゃがむと、架純が大志くんの指輪をネックレスにしたものをかけてくれた。
『すずの花嫁姿、見たかったなあ。
たくさん旅行にも行きたかった。
カナダの案内もしたかった。
お母さんになるすずも見てみたかったなぁ。
こどもはすずに似てほしい。
だって世界一かわいいから』
「誓いの言葉。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい」
私は笑顔で架純を見た。
架純の目には涙が浮かんでいる。
私の頬には涙が伝う。
「おめでとう」
架純の震える声と涙が私の心をキュッと締め付ける
「ありがとう」
泣きながらも微笑んだ。
『ねぇ、僕の送った手紙は全部読んでくれているのかな?
それとも、もう過去の男だって捨てられてしまっているのかな?
そうだとしたら、少し寂しくて悲しいけどいいや。
すずが忘れる方が幸せだと選択したなら』
「すず!ブーケトスはさ、もっと沖の海にしよう!ここよりもっともっと綺麗な海にしよう!」
私は頷いてドレスの裾をあげて走り出した。
架純も私の手からこぼれたドレスの裾を持ってくれた。
『すずと行った海の色、砂浜を踏むの感覚、一緒に食べたごはんのおいしさ、グランドの砂ぼこり、僕が送ったらすぐ届く淡くて綺麗な便箋、綺麗な字、すずの香り、すずの心地のいい声。
病気のせいでいろんな感覚が鈍って全てが灰色と黒色にしか感じない中で、すずとの思い出は全部、瑞々しくて、眩しく光り、色鮮やかです』
防波堤を登り、何度も転んでしまいそうになりながらテトラポットまで来た。
さっきよりも深い青色の海が白い波を立てている。
「では、すず、ブーケトスをお願いします!」
私は砂浜の方を向き、後ろに花束を投げた。
高く舞い上がる花束。
架純が拍手をする。
2人で抱き合い泣いた。
ねぇ、大志くん、私今すごく幸せだけど、
やっぱりすごく寂しいよ。
会いたいよ。
涙で濡れた顔で空を見上げた。
そして大志くんを想い、微笑んだ。
『すず、君に出会えて良かった。
すずは僕の短い人生の全てだ。
でも、すず、もし君がまだ、僕のことを思ってくれているなら、
それを今日で終わりにしてほしい。
すずはとても素晴らしいから僕なんかがずっと独占するのは良くない。
僕よりもっといい人を見つけて、恋をして、幸せになってほしい。
もし相手に見る目がなくて振られてしまっても大丈夫。
僕が見守ってる。
僕がどんなに時間をかけてもすずを見つけにいくよ。
だから、僕のためにも幸せになって。
また僕に向けてた笑顔を見せて』
うん、見せるよ、でもこの笑顔は他の誰のものにもならない。
あなたにしか向けられない。
あなた以外こんなに愛せるわけがない。
『指輪も海にでも流して。僕の遺志で骨は少しだけ海に撒いてもらうんだ。
そしたら一緒になって、きっと僕は寂しくないから』
海に流したりなんかしない。
これは私と大志くんを『つなぐもの』
『僕は僕の人生を何一つ後悔していないよ。
この短い時間の中ですずを見つけることができた。
そして、これはものすごい奇跡で、すずも僕を好きになってくれた。
こんな幸せな人生があるのかな。
僕は間違いなく、世界で一番幸せものだった』
私も、何一つ後悔してないよ。
悲しみに負けて『出会わなければよかった』なんて思ったことない。
人生の1番の喜びも、悲しみも、全部大志くんで染まっている。
こんなに人を愛せるなんて、大志くんに出会った頃の私は想像もできなかったよ。
『僕のこと、女々しく感じてしまうかもしれない。
でも僕が最後に、本当の最後に伝えたいことは、すずが好き。ただ、それだけなんだ。
すず、本当にありがとう。
愛してるよ。
大志より』
私もだよ。
私は大志くんがいる方を向いた。
眩しすぎる太陽は海を、砂浜を、波ひとつひとつを輝かせている。
その波のように白いウエディングドレスが海風に揺れていた。