yumeshosetsuol’s blog

ただのOLの趣味です。今は2つの別の話を同時進行で更新しています。カテゴリーに分けると読みやすいです。

3音目

f:id:yumeshosetsuol:20190213212828j:image

「いい天気だね」

彼女が手で陽を透かせている。

自由な彼女を見ていると、本当に猫だったのかと思いそうだが、

そんなわけないと、冷静な自分が言い聞かせてくる。

「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

彼女がこちらを向いて会釈する。

「いや、僕、いいって言ってない...」

「屋根裏部屋でもいいい!クローゼットでもいいし、ベランダでもいいから!」

大きな瞳で僕を見つめる。髪と同じ深い夜のような色だ。

僕が困って黙っていると、彼女は唐突に中庭にある大きな樹の下に急に寝転がった。

「汚れるよ」

僕が近づいて手を差し伸べると、彼女は寝返りをうって背を向けた。

「住まわせてくれないなら今日からここに住みます」

早口でそう言った。

「それはだめだよ。危ないし、ここは20時には閉まるし。春っていってもまだ夜は寒いよ。それに、なにより君のご両親が一番心配する」

「両親はいないよ」

そっけなく返された。聞いてはいけないことだったかと慌てていると、

捨て猫に、親なんているわけないでしょ」

と、彼女が言った。

どこからが本当で、どこからが嘘か分からない。

でも本当に両親がいないのなら、簡単に同調も、同情もできない。

僕は彼女の隣に座った。手を少し伸ばしたら頭を撫でられそうな、そんな距離だ。

中庭の木に鳥が2羽、止まっておしゃべりをするように鳴いている。

風で揺れる枝葉を見ながら少し息を吸った。

「僕、母親がいないんだ。」

少し早口になった。彼女が少し顔を上げ、僕の方を振り返る。

それを目の端で感じながら僕は話始めた。

f:id:yumeshosetsuol:20190213213425j:image
「去年の秋に病気で。急だった。とても明るい母だった。

僕と正反対で、思い立ったらすぐ行動する人で。

急に料理教室とか生け花とか絵画とか習い事始めたり、

よく家族放って友達とかと海外旅行に行ったりしてて。

でも変わったお土産とか、起こった出来事とか聞くのが楽しかった。

だから、まだ、抱えきれないくらいのお土産買って突然笑顔で帰ってくるんじゃないかって思うんだ。

楽しそうに忙しくしている母は、まるで自分の人生が早く終わるって知ってて生きてたみたいだった」

僕は少し空を見上げた。

春の陽気、それでも思い出す母のこと。

家族を失うと言うことはそんな簡単なことではない。

四季に、街に、空気に、思い出がそっと置かれてあって僕は無意識にそこを通る。

すると、一瞬で心が捕らわれてその思い出の時間に気持ちが戻ってしまう。

その一瞬は幸せだ。でもすぐに虚しさが襲って来る。

でも思い出は思い出でしかなく、もう二度とその時間には戻れない。

そして続きが描かれることは、ない。

「兄がここで働いてるって言ったの覚えてる?司書になるくらいだから本が大好きなんだけど、

一般的なイメージ通り、無口な兄なんだ。

父は優しいけど、母の話を聞くのが好きな人で多弁じゃなかった。

家には男3人。母がいなくなったこと以外、何も変わってないはずなのに

太陽がなくなったみたいに家が暗いんだ。

本当に部屋の電球が切れかけてるのかと思って買い替えてみたけど、暗いまま。

母の習い事で生けた花は時間が経ってあっさり枯れた。塗りかけの絵はあんなに色鮮やかだったのに、

早回しで時が進んだように色があせて見えた。

それは家族全員が感じてたみたいで、母が生きていた面影が我慢できなくて引っ越すことにしたんだ。

とは言っても、僕は高校に通っていたし、父と兄は仕事があったからそれをきっかけに一人暮らしを始めた。

僕と父は母の荷物は一軒家に置いたまま、元の家からあまり離れていないところに狭いマンションを借りた。

父とふたりで暮らして始めてしばらくして父の異動が決まったんだ。

男2人が暮らしてた家に今はひとり。時々兄が様子を見に来てくれるけど、部屋が暗くて」

いつのまにか彼女は起き上がって僕の隣に座っていた。

目の端で捉えるのではなく彼女の方を向いてみた。

彼女は泣いていた。

声を押し殺し、大粒の涙をいくつも、いくつも膝の上で握りしめた手のひらに溢していた。

「ごめん、暗い話しちゃって」

"泣かせてしまった"という罪悪感にかられて僕は思わず彼女の頭を撫でた。

彼女は首を横に振って、

「すてきな、すてきなお母さんだったんだね」

と、言った。

そして、

「私は太陽にはなれないけど、大志くんの月になりたい」

と言って、僕を真っ直ぐに見つめた。

f:id:yumeshosetsuol:20190213213850j:image

「太陽の力を借りないと光ることはできないし、昼間の明るさだと消えちゃう。

でも真っ暗になった時、星よりも明るく、たくさん照らせる」

心に開いてしまった穴に、何か温かいものが注ぎ込まれたような感覚がした。

この話をした時に、みんなが言う「可哀そう」「大変だね」「つらいね」の温度と全く違う。

これが、僕の欲しかった言葉だったんだ。

「それじゃ、だめかな」

僕は思わず彼女の手を握って引き寄せ、彼女の瞳を見つめた。

彼女は目を逸らさずに、僕を見つめた。

「...高校生がひとりで暮らしてるからろくな部屋じゃないよ」

「私は野良猫だよ」

「部屋なんて、狭くてリビングと寝室しかないよ」

「屋根があって、雨風がしのげたらそこは最高の場所だよ」

「まだ君のこと全部は思い出せてないけど、一度拾ったのに、何年も、ひとりにさせてごめんね」

「でも、今、もう一度会えてるよ」

そうだね、と思わず笑った。彼女もつられて笑う。

ある晴れた春の日、満開だった桜が葉桜に変わるころ、僕は黒猫を拾った。

その猫は桜の花びらを包んだ風のように優しかった。

誰にもらったのか、風鈴のような音が鳴る鈴を持っていた。

だから僕はその黒猫を『すず』と、名付けた。

f:id:yumeshosetsuol:20190213214009j:image