yumeshosetsuol’s blog

ただのOLの趣味です。今は2つの別の話を同時進行で更新しています。カテゴリーに分けると読みやすいです。

3音目

f:id:yumeshosetsuol:20190213212828j:image

「いい天気だね」

彼女が手で陽を透かせている。

自由な彼女を見ていると、本当に猫だったのかと思いそうだが、

そんなわけないと、冷静な自分が言い聞かせてくる。

「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

彼女がこちらを向いて会釈する。

「いや、僕、いいって言ってない...」

「屋根裏部屋でもいいい!クローゼットでもいいし、ベランダでもいいから!」

大きな瞳で僕を見つめる。髪と同じ深い夜のような色だ。

僕が困って黙っていると、彼女は唐突に中庭にある大きな樹の下に急に寝転がった。

「汚れるよ」

僕が近づいて手を差し伸べると、彼女は寝返りをうって背を向けた。

「住まわせてくれないなら今日からここに住みます」

早口でそう言った。

「それはだめだよ。危ないし、ここは20時には閉まるし。春っていってもまだ夜は寒いよ。それに、なにより君のご両親が一番心配する」

「両親はいないよ」

そっけなく返された。聞いてはいけないことだったかと慌てていると、

捨て猫に、親なんているわけないでしょ」

と、彼女が言った。

どこからが本当で、どこからが嘘か分からない。

でも本当に両親がいないのなら、簡単に同調も、同情もできない。

僕は彼女の隣に座った。手を少し伸ばしたら頭を撫でられそうな、そんな距離だ。

中庭の木に鳥が2羽、止まっておしゃべりをするように鳴いている。

風で揺れる枝葉を見ながら少し息を吸った。

「僕、母親がいないんだ。」

少し早口になった。彼女が少し顔を上げ、僕の方を振り返る。

それを目の端で感じながら僕は話始めた。

f:id:yumeshosetsuol:20190213213425j:image
「去年の秋に病気で。急だった。とても明るい母だった。

僕と正反対で、思い立ったらすぐ行動する人で。

急に料理教室とか生け花とか絵画とか習い事始めたり、

よく家族放って友達とかと海外旅行に行ったりしてて。

でも変わったお土産とか、起こった出来事とか聞くのが楽しかった。

だから、まだ、抱えきれないくらいのお土産買って突然笑顔で帰ってくるんじゃないかって思うんだ。

楽しそうに忙しくしている母は、まるで自分の人生が早く終わるって知ってて生きてたみたいだった」

僕は少し空を見上げた。

春の陽気、それでも思い出す母のこと。

家族を失うと言うことはそんな簡単なことではない。

四季に、街に、空気に、思い出がそっと置かれてあって僕は無意識にそこを通る。

すると、一瞬で心が捕らわれてその思い出の時間に気持ちが戻ってしまう。

その一瞬は幸せだ。でもすぐに虚しさが襲って来る。

でも思い出は思い出でしかなく、もう二度とその時間には戻れない。

そして続きが描かれることは、ない。

「兄がここで働いてるって言ったの覚えてる?司書になるくらいだから本が大好きなんだけど、

一般的なイメージ通り、無口な兄なんだ。

父は優しいけど、母の話を聞くのが好きな人で多弁じゃなかった。

家には男3人。母がいなくなったこと以外、何も変わってないはずなのに

太陽がなくなったみたいに家が暗いんだ。

本当に部屋の電球が切れかけてるのかと思って買い替えてみたけど、暗いまま。

母の習い事で生けた花は時間が経ってあっさり枯れた。塗りかけの絵はあんなに色鮮やかだったのに、

早回しで時が進んだように色があせて見えた。

それは家族全員が感じてたみたいで、母が生きていた面影が我慢できなくて引っ越すことにしたんだ。

とは言っても、僕は高校に通っていたし、父と兄は仕事があったからそれをきっかけに一人暮らしを始めた。

僕と父は母の荷物は一軒家に置いたまま、元の家からあまり離れていないところに狭いマンションを借りた。

父とふたりで暮らして始めてしばらくして父の異動が決まったんだ。

男2人が暮らしてた家に今はひとり。時々兄が様子を見に来てくれるけど、部屋が暗くて」

いつのまにか彼女は起き上がって僕の隣に座っていた。

目の端で捉えるのではなく彼女の方を向いてみた。

彼女は泣いていた。

声を押し殺し、大粒の涙をいくつも、いくつも膝の上で握りしめた手のひらに溢していた。

「ごめん、暗い話しちゃって」

"泣かせてしまった"という罪悪感にかられて僕は思わず彼女の頭を撫でた。

彼女は首を横に振って、

「すてきな、すてきなお母さんだったんだね」

と、言った。

そして、

「私は太陽にはなれないけど、大志くんの月になりたい」

と言って、僕を真っ直ぐに見つめた。

f:id:yumeshosetsuol:20190213213850j:image

「太陽の力を借りないと光ることはできないし、昼間の明るさだと消えちゃう。

でも真っ暗になった時、星よりも明るく、たくさん照らせる」

心に開いてしまった穴に、何か温かいものが注ぎ込まれたような感覚がした。

この話をした時に、みんなが言う「可哀そう」「大変だね」「つらいね」の温度と全く違う。

これが、僕の欲しかった言葉だったんだ。

「それじゃ、だめかな」

僕は思わず彼女の手を握って引き寄せ、彼女の瞳を見つめた。

彼女は目を逸らさずに、僕を見つめた。

「...高校生がひとりで暮らしてるからろくな部屋じゃないよ」

「私は野良猫だよ」

「部屋なんて、狭くてリビングと寝室しかないよ」

「屋根があって、雨風がしのげたらそこは最高の場所だよ」

「まだ君のこと全部は思い出せてないけど、一度拾ったのに、何年も、ひとりにさせてごめんね」

「でも、今、もう一度会えてるよ」

そうだね、と思わず笑った。彼女もつられて笑う。

ある晴れた春の日、満開だった桜が葉桜に変わるころ、僕は黒猫を拾った。

その猫は桜の花びらを包んだ風のように優しかった。

誰にもらったのか、風鈴のような音が鳴る鈴を持っていた。

だから僕はその黒猫を『すず』と、名付けた。

f:id:yumeshosetsuol:20190213214009j:image

2音目

f:id:yumeshosetsuol:20190128200224j:image

図書館は、外の空気がちょうどいい温度だからか、入り口と窓が開いていた。

心地よい春の空気に、心なしか本も喜んでいるように見えた。

彼女を探そうと思ったその時、見つけた。

彼女は、児童書が集まるところで子供たちに囲まれていた。

周りの子供たちは嬉しそうににこにこ笑いながら彼女の読み聞かせに夢中になっていた。

その光景が微笑ましく、僕は少し離れたところの椅子に座って眺めた。

f:id:yumeshosetsuol:20190212083223j:image

少し大げさに起伏と感情を込めた読み聞かせは、子供でない僕でも引き込まれるものがあった。

「そして、うさぎさんは空を見上げました」

その言葉通り彼女は図書館の天井を見上げようと顔をあげた。

僕と目が合う。

「大志くん!」

彼女が僕に向かって手を振る。

そこで気づいた。僕は彼女の名前をまだ聞いていなかった。

「ここから先は、望結ちゃん呼んで」

そう言って、輪の中の一番年上の女の子に絵本を渡し、彼女は僕の方に歩いてきた。

「待ってたよ」

彼女の無邪気な笑顔は春の陽気によく合う。

「そう、名前、聞いてなくて」

僕は言い訳するように言った。

「私は捨て猫だよ。名前はまだない」

有名な一説を、その本の印象とは違うように明るく言った。

「ないわけないでしょ」

僕が困ったように言うと

「君からの名前が欲しいの」

そう言って、僕の腕を掴み、ゆらゆらと揺らした。

チリン、チリンと、風鈴のような鈴の音が鳴る。

「鈴...?」

僕がそれをみて言うと、

「"すず"ね!それが私の名前ね!」

彼女の手首についていた鈴のことを言ったのに、どうやらそう名付けたと勘違いされたらしい。

「え、それでいいの?ほんとの名前は...」

「気に入った!今日から私はすずね。よろしく、大志くん」

差し出された手を反射的に握ってしまった。

「珍しい」

ふと、声が漏れた。"すず"さんが僕を覗き込む。

「僕の名前、入館カードで見たんだよね。たいていの人が"たいし"じゃなくて

"だいし"って読むんだ」

彼女はきょとんと僕を覗き込んだ。

「本当に覚えてないんだね。朝言ったじゃん。『先日、助けていただいた猫です』って。

君は私の頭を撫でて優しい声で『大志だよ』って自己紹介してくれたじゃんか」

僕は頭を振り絞って考えたが、全く覚えがない。

猫が人間になることなんて、本や映画の中でしか見たことがない。

「あ、虹だ!」

さっきまで絵本に夢中だった子どもたちが一斉に窓の方に集まった。

図書館の中庭で事務員の人が木々に水やりをしていた。

それと太陽の反射で小さな虹ができていた。

太陽の光を反射して輝く水しぶき。小さな虹。真っ黒いワンピース。

響く鈴の音。窓から反射する照り返しに、目の前が一瞬真っ白になった。

その時、記憶の彼方から黒い小さな子猫のが蘇った。

小さく細い手足が濡れていて、震えていた。

僕はその小さな子猫を抱きかかえて歩いていた。

小雨は止まず、靴の中がぐしょぐしょになっていた。

頭をなでながらしきりに「大丈夫だよ」と声をかけていた気がする。

その時、名前を言ったかもしれない。

その黒猫を拾った時も春だったが、雨に濡れると寒く感じた。

黒猫を温めようとしゃがんだとき、曇った空から光がさして虹を見た。

あの時の景色、空気感が偶然一致して、僕の記憶を微かに呼び起こした。

「大志くん?」

ぼうっとした僕を覗き込む彼女。

僕が自身が忘れていたくらいだから、猫を拾ってさまよったことはきっと誰にも話していない。

となると、本当にこの子はあの時の猫なのか。

「すず、さん」

ぎこちなく呼ぶと、

「飼い猫に"さん"は付けないでしょう?すずって呼んで」

ええ、と思わず声が出た。

普段からあまり女子としゃべらない僕はとても抵抗があった。

「早く」

少し頬を膨らませる。

「す…ず」

どういう表情をしていいかわからず、照れ隠しに頭をかく。

彼女は満足そうにこちらを見ている。

「君はほんとにあの時の猫なの?」

「そうだよ」

当たり前のように返す。

その当然かのような返事に、僕は「猫は魚が好きなの?」と言い間違えたのかと思った。

「じゃあ、帰ろう」

「え?」

「大志くんの家」

「え!?」

思わず大きな声が出る。司書さんが目で僕を注意する。

「大志くんうるさいよ。ここ図書館だよ。静かに」

そう言って、人差し指を僕の唇に当てた。

家に来ることは納得していないが、話すには適していない場所なのでは確かなので、中庭に出ることにした。

f:id:yumeshosetsuol:20190212083407j:image

9話

11月から始まった、世界の茶葉を集めた催し物は、初日から大人気だった。
愛莉と約束したのは11月の第一土曜日だ。
お茶だけに午後からの方が混むと聞き、午前中に待ち合わせをしていた。
家まで迎えに行くと言ったのだが、車を出してもらうから平気だと言われ、最寄りの六本木駅で待ち合わせになった。
待ち合わせの10分前に着いた天馬は、人混みを避けて愛莉を待っていた。
正直、あまり気分は乗っていなかった。
今まで音以外の女の子と出掛けたことはなく、こうして待ち合わせ場所で女の子を待つというのは、どうしても音とのデートを思い出してしまうからだ。
異業種交流会で愛莉に言われた言葉が引っかかっているのか、何となく音への罪悪感のようなものがあった。
「ごめん、お待たせ!」
待ち合わせ時間ちょうどに、愛莉が来た。
「いや。じゃあ、行こうか」


道すがら、愛莉の趣味がお茶だということを聞いた。今まで、サプリメント等で健康状態を維持していたが、お茶も体にいいということで、適度に摂る習慣があるらしい。
最近はちゃんと食べるようになり、色々なシーンで飲む茶葉を変えたりとこだわりがあるようだ。
六本木ヒルズの高級ショッピング街に並ぶビルの一つに設けられた会場は、午前中にしたこともあって思っていたよりも混んでいなかった。
落ち着いた品のある内装に、デジタルコンテンツが所々に取り入れられていて、おそらく父の事業が関わっているのだろう。
「お味見いかがですか?こちらはすべてイギリス産の紅茶でして、中でも希少価値の高い━━━」
「こちらは、京都のとある茶園でしか栽培されていないものになっており━━━」
販売員が勧めてくる茶葉はどれもこれも高級品で、あたりは香り高い芳香で満たされていた。
はぐれるほどの人混みではないが、人に当たらないように愛莉を目当ての店に誘導しつつ、嬉しそうに辺りを見ている姿に安心した。
お茶好きと言っていた通り、前を通り過ぎる店々に興味津々のようだ。
目当ての店に行くと、ブースの一角にちょっとした試飲コーナーが設けられていた。
天馬や愛莉が気に入った一番人気の茶葉だけでなく、季節のものや珍しいフレーバーと組み合わせたものが沢山並べられている。
いくつか気になるものを飲んだり、販売員の話を聞いたりしているうちに、意外にもあっという間に時間は過ぎていった。


会場を出る頃には昼のピークを過ぎていた。
近くのお店に入りランチをしながら、愛莉は納得のいく買い物が出来たのか、終始楽しそうだった。
お店を出てから、特に行く宛もなく歩いた。
隣で愛莉がC5のメンバーとの思い出や愚痴やらを話してくれ、天馬がそれに相槌を打つ。
愛莉の表情はくるくるとよく動き、それを見てるだけで何となく明るい気持ちになれた。
「あれ、愛莉…?」
不意に後ろから愛莉を呼ぶ声がした。
反射的に天馬も後ろを振り返る。
愛莉の横にいる人物が、まさか天馬だと思っていなかったのだろう。
驚きで目を丸くした音が、天馬を見上げていた。
隣の愛莉も、まさか六本木で遭遇するとは思っていなかったようで、反応が出来ていなかった。
「音…」
天馬も予想していなかった展開に軽く目を見張り、かつての婚約者の名前を呟いた。
「天馬くん…」
呼ばれた名前に反応して顔を向けた音は、少し気まずそうに天馬を見る。
お互いに何も言えず、ただ沈黙が落ちた。
「馳…なんでお前と愛莉が一緒にいるんだ?」
音の隣に立つ晴も驚きを隠せない様子だ。
二人が驚くのも無理はない。
彼らが知る限りで、天馬と愛莉に顔見知り以上の接点はないのだ。
「パパ達の仕事の関係で知り合ったの。今日はHASE LIVEが協賛してる催し物に行ってたのよ」
何とも言えない居心地の悪さを感じているのか、愛莉は詳しく語ろうとはせず、掻い摘んだ説明をした。
「仕事の関係…?いつの間にそんな…」
いつも何かしらのフォローを入れる天馬が無反応で、愛莉はさっさと切り上げてこの場を去ることに決めた。
「ごめん、ちょっと急いでるから。じゃあ、音、晴。また学校でね」
晴の疑問を途中で遮り、愛莉は先を急いでる風を装うと、天馬の腕を引き二人に手を振った。
「う、うん。またね」
音の笑顔も声もどこかぎこちない。
冬の空気を纏った乾いた風が、複雑な面持ちの四人の間を吹き抜けた。

1音目

f:id:yumeshosetsuol:20190126124609j:image

ある晴れた春の日。

木陰はゆっくりと風をふくみ通学路を揺れていた。

僕はその日、日直でみんなよりも早く登校していた。

周りに同じ学校の生徒はいない。

急ぎ足のサラリーマンと、優雅に散歩する犬と余生を楽しんでいるであろうお年寄りばかりだ。

こんな心地い日にゆっくり歩いて登校するのは、なんだかとても爽やかな気分になる。

木陰の動きに目を取られていると、

目の前の横断歩道の信号の青色が点滅を始めた。

渡ってしまおうと走り出そうとしたとき、鈴の音がして制服の裾を引っ張られた。

目の前の信号が赤色になる。

振り向くとそこには同い年くらいの女の子がいた。

f:id:yumeshosetsuol:20190126124757j:image

真っ黒のワンピースを着て黒いスニーカーを履いている。

両方とも、どことなくくたびれていた。

7分袖から出る腕は黒いワンピースと対照的に色白く、小さな顔からは大きな瞳が溺れ落ちそうだった。

「どうしたの」

僕が思わず聞くと、少し強い風が吹いた。

肩で切りそろえられた髪がふわりと舞う。

「せんじつ、」

少し上ずった声で彼女は話し始めた。

「先日、助けていただいた猫です。

覚えてますか?」

僕が思わず戸惑った顔をすると、彼女はそれに敏感に感じ取ったようで、話を続けた。

「先日といっても、随分前になります。随分前と言っても何年前とかで、しっかり何年とは覚えてなくて。でもあなたが助けてくれたことは覚えています」

早口に言い終えた彼女は泣きそうな顔でこちらを見ている。

その真っ赤な瞳の彼女をなぜか放っておけない気持ちになった。

しかし、僕は今日学校で、さらには日直だ。

「ごめん、覚えてないな。それに君は人間に見える」

そう言って、僕の袖を掴む手を出来るだけ優しく握って放させた。

また鈴の音がした。

腕に黒いリボンのようなものに小さな鈴が通っていてそれが巻きつけてあった。

それが鳴っていたようだ。

その鈴は古びていて、メッキが所々剥がれていた。

それでも持っているということは大切なものなんだなと思った。

彼女の目には涙が溜まっていて、鼻の頭は赤くなっていた。

心が痛くなった。

僕はいたたまれなくなって

「携帯、持ってないの?学校終わったら連絡するから」

と、思わず言った。

彼女はかぶりふる。

今時携帯持っていないことなどあるのか。

「あそこで待ってる」

さっき渡ろうとしていた信号の近くのガードレールを指差す。

「そんな、危ないよ」

「猫は暇をつぶすのが得意だよ」

そう言って彼女は両手を頭の上に持っていって耳のようにして微笑んだ。

そんなこと言われても、ここで彼女を放っておくことはできない。

「君、本は好き?」

「大好き!」

僕は財布を取り出して中に入っている図書館の入館カードを渡した。

「目の前の信号あるでしょ。あれを渡らずに左に曲がる。2つ目の信号を左に曲がったら市立の図書館がある。

このカードで入れる。そこで僕の兄が働いてるからもしカードの人と違うって注意されたら僕の友人だからって言ったら大丈夫だから。ちょっと待てそう?」

彼女はその入館カードを宝物のように胸に握りしめた。

「ありがとう」

きらきらした大きな瞳が僕を映す。

僕は少し微笑んで頷いた。

初めて会ったのに初めて会った気がしなかった。

葉桜の静かな音と、鈴の音が僕の耳の奥で、心地よくこだました。

信号が青になる。

「じゃあ、後で」

そう言って反対方向に別れた。

しばらく経って振り返ると、彼女は木陰に透けてゆっくり歩いていた。

f:id:yumeshosetsuol:20190126124840j:image

その姿はまるで黒猫のようだった。

あまりにも彼女と景色がよく合っていて綺麗だったから、僕は携帯のカメラでシャッターを切った。

その気配に気づいたのか、彼女が振り返る。

怒られるかと思ったが、その反対で、彼女は僕に満面の笑みを浮かべた。

何か胸の奥が痛いくらい締め付けられる。

彼女はすぐに歩き出したのに、僕は立ち尽くしたままだった。

遠くで学校のチャイムの音がする。

水の中にいるように、反響してよく聞こえなかった。

陽の下で輝く君だけが今の僕の瞳に映る世界の全てだった。

プロローグ

多分、ずっと探していた。

子供が母親を探すのとは違う。

宝物のおもちゃをたくさんのものの中から探すのとも少し違う。

心の1番弱くて柔らかい部分を、

君は掴んで、離さなかった。

そんな君に、もう一度会いたかったんだ。

その為に探していた。

 


君は自由で、気まぐれで、わがままだ。

なのに時にどこか寂しげに僕を見つめる。

そのビー玉のような瞳に映る僕は、

君が見ている景色と同じ色なのか。

 


君が教えてくれた事は優しいものばかりで、まるで僕にとっての月明かりだった。

太陽よりも仄かで弱いのに真っ直ぐ白い。

その光は君を探していた僕を導いてくれた。

もう一度会いたい僕の手を引いてくれた。

 


そして、また、君を愛してしまった。

 

f:id:yumeshosetsuol:20190123225507j:image

エピローグ(Bad End)

丘の上の海が見える"タカイトコロ"。

一番見晴らしがいい場所にそれはあった。

2月半ばの空気はよく冷えていて、息を吐くと白くなった。

凛とした空気はいつも感じている空気よりずっときれいに感じた。

景色とは雰囲気が合わない真っ黒な格好のふたりが、お墓にお花を添えて線香をあげていた。

私は翔子さんと大志くんのお墓参りに来た。

「すずちゃん、毎年ありがとうね」

大志くんの命日は必ず予定を空けて来ていた。

命日でない日も何かあるとここに報告しにくる。

とは言っても、お墓を真っ直ぐに見つめることができるようになったのは去年くらいからだった。

ただの石の塊だと言うのに、刻まれた彼の名前を目の前にすると、

まるでお守りの中身を見るように、罪悪感と焦燥感、そして虚無感がこみ上げてきて、

強くない私は直視することができなかった。

「好きで来てるだけなので」

私は翔子さんを見て微笑んだ。

翔子さんはお盆と命日に毎年来るけれど

お盆と命日以外来ていないとは思えないほど、いつも綺麗なお墓に私の存在を感じていたようだった。

私は、いつも、どれだけ忙しくてもお花が枯れることのないようにしていた。

「じゃあ、私はちょっと用事あるから、ふたりっきりでごゆっくり」

そう言って翔子さんは帰って行った。

それは軽薄なわけではない。

血の繋がった人の死を受け入れるのは簡単なことではない。

10年経った今でもここに立つ翔子さんの足は震えていた。

「寒いから」と、言い訳する目に溜まった涙が本当の理由でないことを物語っていた。

弟を支えるためにきついマネージャーもこなすほど溺愛していた。

大志くんから聞く翔子さんの話はいつも優しい話ばかりで、仲の良さがうかがえた。

 


彼の死は、誰も幸せにしなかった。

f:id:yumeshosetsuol:20181021165952j:image


「ねえ、大志くん。私たち結婚式挙げたんだよ」

そう言いながらお墓の前にしゃがんだ。

私はあの砂浜での結婚式の話した。

あの結婚式は、架純に全てを話した日にふたりで話し合って決めた。

手紙はいつか終わってしまう。

箱に入りきらほどの手紙だって時には勝てない。

その手紙が終わってしまった時、私はそれを受け止められる自信がなかった。

だから逆にその日を、幸せな日にしようと準備することにしたのだ。

「海、あの時となにも変わってなかったよ」

「ブーケトスはテトラポットの上からしたんだよ」

「あ、ブーケはね、11本のバラを入れてもらったの。

花言葉は『あなたは私の宝物。最愛』って意味なの。ぴったりでしょう?」

私はそう言いながらそっとお墓に触れた。

氷の様に冷たく、まるで冷えた陶器のようだ。

亡くなった人の肌は冷たい陶器に似ていると、どこかで聞いた。

肌に触れた人は陶器を触るとその感覚が蘇り、触れなくなってしまうらしい。

私も大志くんの遺志がなかったら、彼の最期の姿に触れ、咽び泣いただろう。

そしてきっとそれを思い出すものには一生触ることができない。

最期を見せないということはそういった心の傷を減らすことができるかもしれないが、

もう二度と会えないという実感がわかない。

今にも大志くんが現れて、

「何してるの?寒いでしょ。あったかいご飯でも食べに行こうよ」

と、笑顔を向けそうだ。

f:id:yumeshosetsuol:20181021170057j:image

でも、そんなこと夢以外一度もない。

それでも、現実として受け入れられない。

「私はずっとここに来るからね。ずっと一緒だよ」

そう言いながらお墓の前に大志くんの指輪を置いて、手を合わせて目を閉じた。

生まれ変わってでも見つけてくれると言った大志くんを、私は待つことに決めていた。

もし今が無理なら来世、私も大志くんを探すよ。

たとえどれだけの時間がかかってもいいから、いつか「初めまして」から始めよう。

f:id:yumeshosetsuol:20181021171250j:image


冷たくも柔らかい風が吹いた。

その時、

 

「すず、愛してるよ」

 

と、大志くんの声が聞こえた気がした。

やけにしっかりと聞こえたが、

想いが強すぎるのか、こんな幻聴はよくあったから気にしなかった。

私は合わせていた手を離して目を開けた。

すると、お墓の前に置いていたはずの指輪がなくなっていた。

さっきの風では弱すぎて飛んでいくとも思えなかったが周りを探してみた。

私がしょっちゅう掃除しているので隠れるところはない上、周りは砂利なので転がってどこかへ行ってしまうこともない。

「大志くん!」

声をあげて何度も叫んだ。

でもその声は虚しく響くばかりだった。

「指輪、取りに来てくれたの?」

声が震える。涙がとめどなく溢れる。

返事はない。

でも確かに声が聞こえた。

置いていたはずの指輪がなくなった。

 


『僕は必ず、すずを見守っているから』

 


最後の手紙の一文が私の頭の中で響く。

あぁ、本当に大志くんはいるんだね。

私をいつも見守ってくれているんだね。

ほんとは私が聞こえてないだけでたくさん話しかけてくれているのかな?

今まで幻聴だと思っていたのも、本当大志くんの声が聞こえていたのかもしれない。

答えなくて、ごめんね。

私は大志くんのいる方を向いた。

結婚式の時のように眩しく澄んだ空が見える。

届かないけど、見えるよ。

幻聴でも、本当に大志くんの声だとしても、これからすることはただひとつ。

ちゃんと答えるよ。

 


「大志くん、愛してる」

f:id:yumeshosetsuol:20181021173328j:image

第29話(Bad End)

『すずへ

最後の手紙は特別だと思うんだ。

だから、本当に最後に書いたわけじゃないけど、最後はこの手紙にしてほしいと、頼んでおきました。

つまり、これは最後の手紙です』


私と架純が持ち出したのはお母さんが結婚式の時に使ったウェディングドレスだった。

娘のどちらかが結婚する時にお直しをして使おうと大切にしまってあったものだ。

 

『すず、君と出会ったのは実はサッカー部に入部した時じゃないって知ってた?』

 

架純と電車に乗り込む。

「カメラ!忘れた!」

私が慌てていると、架純がカメラを出してきた。

「もう、いつこの日が来るかってずっと準備してました」

f:id:yumeshosetsuol:20181018221204j:image


『僕が高校3年生になったばっかりの日、

つまりすずが入学したばかりの日、

僕は遅刻しそうで全力で走っていた。

そしたらすずがぶつかってきたんだ。』

f:id:yumeshosetsuol:20181018221346j:image


「あ!お花屋さん寄らないと!」

架純が言った。

「そうだね。あー、あと牧師さん…」

「牧師さんなんてそんな簡単に見つかるものではありません」

そう言って架純は、カメラを取り出したカバンから分厚い本を取り出した。

「私が牧師をします」

さすがです、と言って頭を下げた。

「この日のために練習してたんだよ~」

「ありがとう」

架純と笑い合う。

『その時、すずは慌てていたからきっと覚えていないね。

でも僕は覚えてるよ。

実は一目惚れしていたんだ。

時々、学校ですれ違ったりしたの、知ってる?』

f:id:yumeshosetsuol:20181018222525j:image


電車がトンネルを抜けると海が見えた。

シーズンが終わっているから誰もいない。

「海だ」

思わず声が漏れた。

「綺麗だね」

架純が一緒に見ながら応えてくれた。

「大志くんと行った海なんだ」

「そうなんだ。こんな綺麗だったんだね」

停車駅のアナウンス鳴る。

私と架純が降りる。

駅の近くの小さなお花屋さんで花束を作ってもらった。

バラが4本と千日紅も数本混ぜてもらった。

寂しくならないように他にもお任せで束ねてもらい、花嫁のブーケらしくした。

「ねぇ、なんで千日紅もいれたの?」

「私の誕生花で花言葉がね『色褪せぬ恋』なんだ。

ぴったりでしょう?」

「じゃあ、バラの本数にも意味があるんだね」

「もちろん!」

 

『サッカー部のマネージャーに入部してくれるって聞いた時は驚いた。

嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。

でもすずは僕のことを覚えていなさそうだったから、少し寂しかったけど、かっこいいところたくさん見せようと思った。

でも情けないことに最後の大会、負けてしまった。

あの時、誰よりも悔しそうに泣いていたすずを見て、僕は情けなさと同時に、もう二度とこんな顔をさせないように守りたいと思った。

できれば、すずの隣で。』

f:id:yumeshosetsuol:20181018222651j:image


海についた。

砂浜は白く、一粒一粒が宝石のように綺麗だ。

「じゃあ、架純、お願いします」

「任せなさい!娘の髪の毛は私が切ってるのよ」

そう言って私の髪の毛を切っていく。

看護師だからまとめやすいようにという理由だけで伸ばしていた髪がどんどん短くなる。

「できた!」

そう言って差し出された鏡を見ると、高校の時と同じ髪型になっていた。

「ほんと、上手!驚いた。でも、私、老けたね」

苦笑いをすると、

「全然変わってないよ。すずはかわいい」

架純が肩に乗った毛を払いながら笑いかけてくれた。

ありがとう、と言おうとすると声がかすれた。

まだだ。

まだ泣くな、すず。

 


『僕はすずのことが大好きだ。

この世界で誰よりも。

なのに傍に居られないのがとても悲しく悔しい。

もし生まれ変わりがあるなら、すぐに生まれ変わって、会いにいきたい。

どこにいたってすずを探し出すよ。

そしてまた、すずを好きになる』

f:id:yumeshosetsuol:20181018222957j:image


私はウエディングドレスを被った。

体系が若い頃の母に似ていることに感謝した。

まるで私が着るために仕立てられたようにぴったりだった。

架純がうしろのチャックを閉めてくれる。

 

『短すぎた僕の人生ではすずの全部を見届けることができなかった。

だから、生まれ変わったら今度こそ、一緒に歳を重ねたい』

f:id:yumeshosetsuol:20181018223117j:image


「すず、メイク道具持ってきてないでしょ」

あっ!と、思わず声をあげて口を押さえた。

「そうだと思って持ってきた」

架純がメイクポーチを取り出してメイクしてくれた。

「いい化粧品買ったのに子供産まれてからほとんど使ってないな。

でも絶対綺麗にしてあげるね」

閉じたまぶたから涙が伝いそうになった。

気配を感じた架純が「まだだめ」と小声で囁いた。

「すず、目を開けて」

架純が鏡を渡してくる。

看護師で薄めの化粧をしていたから余計にいつもと違うのがわかる。

「どう?」

架純が心配そうに鏡ごしに覗いてくる。

「私じゃないみたい」

私は鏡ごしに架純に笑いかけた。

f:id:yumeshosetsuol:20181018223154j:image


『でも僕が会いにいくまでの間、

すずには寂しい思いをさせてしまうね。

それに、生まれ変わりなんてないかもしれない。

長い夜を泣いて越してしまうかもしれない。

そんな時は覚えておいて。

僕は必ず、すずを見守っているから』

 


「では、これより中川大志くん、すずの結婚式を始めます」

私はブーケを持って架純の前に立った。

「指輪の交換の代理を私、有村架純が勤めさせていただきます」

架純の手にはシルバーのリングがあった。

これは今日届いた大志くんの最後の手紙と一緒に届いた、あのおじいちゃんからの手紙に入っていたものだ。

まさみさんが代筆した手紙にはこう書いてあった。

広瀬すず

約10年もの間、この郵便局をご愛顧いただきありがとうございました。

本日お送りいたしました手紙でお預かりしている全ての手紙の発送が完了いたしました。

長年のご愛顧ありがとうございます。

ささやかながら感謝の気持ちを込めまして、

こちらの指輪を贈らさせていただきます。

この指輪は手紙の送り主であった中川大志様がこちらで勤務されていた時、「結婚指輪はこれがいい」と、幸せそうな笑顔で私たちに仰っていたものです。

もちろん、中川様が広瀬様に贈られた指輪と同じお店のものです。

ほんの気持ちとなりますが、受け取っていただけますと幸いです。

p.s.今でも中川様の純粋無垢な笑顔を思い出しては、励まされています。

 


想いを届けるちょっと変わった郵便局より』

 


指輪は大志くんから贈られた指輪を守るように、薬指にはめた。

サイズはぴったりだった。

そして少ししゃがむと、架純が大志くんの指輪をネックレスにしたものをかけてくれた。

 


『すずの花嫁姿、見たかったなあ。

たくさん旅行にも行きたかった。

カナダの案内もしたかった。

お母さんになるすずも見てみたかったなぁ。

こどもはすずに似てほしい。

だって世界一かわいいから』

 


「誓いの言葉。

健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい」

私は笑顔で架純を見た。

架純の目には涙が浮かんでいる。

私の頬には涙が伝う。

「おめでとう」

架純の震える声と涙が私の心をキュッと締め付ける

「ありがとう」

泣きながらも微笑んだ。

 


『ねぇ、僕の送った手紙は全部読んでくれているのかな?

それとも、もう過去の男だって捨てられてしまっているのかな?

そうだとしたら、少し寂しくて悲しいけどいいや。

すずが忘れる方が幸せだと選択したなら』

 


「すず!ブーケトスはさ、もっと沖の海にしよう!ここよりもっともっと綺麗な海にしよう!」

私は頷いてドレスの裾をあげて走り出した。

架純も私の手からこぼれたドレスの裾を持ってくれた。

 


『すずと行った海の色、砂浜を踏むの感覚、一緒に食べたごはんのおいしさ、グランドの砂ぼこり、僕が送ったらすぐ届く淡くて綺麗な便箋、綺麗な字、すずの香り、すずの心地のいい声。

病気のせいでいろんな感覚が鈍って全てが灰色と黒色にしか感じない中で、すずとの思い出は全部、瑞々しくて、眩しく光り、色鮮やかです』

 


防波堤を登り、何度も転んでしまいそうになりながらテトラポットまで来た。

さっきよりも深い青色の海が白い波を立てている。

「では、すず、ブーケトスをお願いします!」

私は砂浜の方を向き、後ろに花束を投げた。

高く舞い上がる花束。

架純が拍手をする。

2人で抱き合い泣いた。

ねぇ、大志くん、私今すごく幸せだけど、

やっぱりすごく寂しいよ。

会いたいよ。

涙で濡れた顔で空を見上げた。

そして大志くんを想い、微笑んだ。

 


『すず、君に出会えて良かった。

すずは僕の短い人生の全てだ。

でも、すず、もし君がまだ、僕のことを思ってくれているなら、

それを今日で終わりにしてほしい。

すずはとても素晴らしいから僕なんかがずっと独占するのは良くない。

僕よりもっといい人を見つけて、恋をして、幸せになってほしい。

もし相手に見る目がなくて振られてしまっても大丈夫。

僕が見守ってる。

僕がどんなに時間をかけてもすずを見つけにいくよ。

だから、僕のためにも幸せになって。

また僕に向けてた笑顔を見せて』

 


うん、見せるよ、でもこの笑顔は他の誰のものにもならない。

あなたにしか向けられない。

あなた以外こんなに愛せるわけがない。

f:id:yumeshosetsuol:20181018223352j:image


『指輪も海にでも流して。僕の遺志で骨は少しだけ海に撒いてもらうんだ。

そしたら一緒になって、きっと僕は寂しくないから』

 


海に流したりなんかしない。

これは私と大志くんを『つなぐもの』

 


『僕は僕の人生を何一つ後悔していないよ。

この短い時間の中ですずを見つけることができた。

そして、これはものすごい奇跡で、すずも僕を好きになってくれた。

こんな幸せな人生があるのかな。

僕は間違いなく、世界で一番幸せものだった』

 


私も、何一つ後悔してないよ。

悲しみに負けて『出会わなければよかった』なんて思ったことない。

人生の1番の喜びも、悲しみも、全部大志くんで染まっている。

こんなに人を愛せるなんて、大志くんに出会った頃の私は想像もできなかったよ。

 


『僕のこと、女々しく感じてしまうかもしれない。

でも僕が最後に、本当の最後に伝えたいことは、すずが好き。ただ、それだけなんだ。

すず、本当にありがとう。

愛してるよ。

 


大志より』

 


私もだよ。

私は大志くんがいる方を向いた。

眩しすぎる太陽は海を、砂浜を、波ひとつひとつを輝かせている。

その波のように白いウエディングドレスが海風に揺れていた。