第7話
朝日がまぶしい。
母が自分の支度をしながら私を起こそうと大きな声で名前を呼んでくる。
昨日、あんなに雨に降られたにも関わらず、
私の体は元気で、ただ、眠気があるだけだった。
漫画の主人公ならばここで風邪をひき
親友の計らいで先輩がお見舞いに来てくれて…。
「そんなこと、起こるわけないか」
私は小さく呟いて起き上がって時計を見た。
「うそでしょ!?」
いつもならばもう朝食を食べている時間だ。
「だから早く起きなって言ってたのに!」
母が部屋を少しだけ覗いて玄関で靴を履き始めた。
「朝食、置いてあるからね。もう、すずは広大君が起こしに来ないと起きないの?」
呆れたようにため息をついていた。
「あんな奴いなくても起きられるもん」
私は大急ぎで準備を始めた。
確かに、朝が弱い私が小学生、中学生とほとんど遅刻しなかったのは
毎日広大が起こしに来てくれていたからだ。
もうそれも、これからはない。
そもそも、広大は違う高校に行くと思っていたし、これは私の甘えだ。
架純にも支えられ、広大に知らないうちに甘えて
私は幸せの真ん中で生きていたんだ。
昨日の告白も、結局困る私を見かねた広大が、私を放して傘を差しだし、
広大は濡れながら走って帰っていった。
こんな時まで甘えていた。
そう思うと、とてもやるせない気持ちになった。
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広大とは私がこのマンションに引っ越してきたときに出会った。
小学校2年生の時、父と母が離婚した。
毎日喧嘩ばかりだったから大体予想はついていた。
当時の喧嘩の内容を思い出しても父はいつも理不尽なことを言っていた気がする。
母も働いていたのにやれ帰りが遅いだの、やれ味付けが薄いだの濃いだの。
そこらの姑よりたちが悪かった。
最初は私たちのためにと我慢していたが、
お酒が入り上機嫌になった父が
「昔美容師になりたかった」
というわけのわからないことを言い出し、傍にいた私の髪を
文房具のはさみざくりと切った。
当時背中まで伸びていた髪が肩の上まで短くなった。
母がすぐに父からはさみを取り上げ父の頬をひっぱたいた。
びっくりして泣き出した私を姉が抱きしめ、ずっと父を睨みつけていた。その姉を守るように中学生になったばかりの兄が私たちの前に立っていてくれた。
母は激高し、父を怒鳴って家の外へ追い出した。
その時の母の権幕はすごかった。きっと積もりに積もったものがあったのだろう。
それっきり、父の姿を見ていない。
そんな環境の中私がマイペースで育つことができたのは
母はもちろん、兄弟の力も大きかった。
私は三人兄妹の末っ子で、
兄は離婚後はお父さんの代わりの様に私たちの面倒を見てくれたし
父より優しくずっとよかった。
年の離れた私を何かと褒めてくれた。
姉はしっかり者で優しい。
母が忙しいときは私の髪の毛を結ってくれたり、
たまに母が服や髪飾りを買ってきてくれた時には
どっちがいいか先に選ばせてくれたりした。
父が追い出され、違う土地へ引っ越しても何不自由なく暮らしていた。
そんなある日、登校していると広大が急に私の髪を引っ張ってきた。
「痛い」
父に髪を切られた記憶がフラッシュバックした。
すかさず隣にいた姉が広大に掴みかかった。
「私の妹に何してんのよ!」
広大はお隣さんだ。
私たちはマンションだが広大のお家は見かけによらずお金持ちで
私たちが住んでいるマンションと同じくらいの大きい家だった。
姉の剣幕に広大は泣き出した。
「ごめんなさい、なんでもします」
広大はべそをかきながら姉に言った。
「あんた、すずと同じ学校よね?」
広大が頷く。
「じゃあ、これから朝、学校まですずを送って行って」
私と広大が「え?」と声を上げた。
「私、すずと違う小学校なの。だから私が朝すずを送るためにすずに早起きしてもらってたの。すずは朝が弱いから、あんたが送って行って」
「わ、わかった…」
気のせいか、広大の顔が明るくなった気がした。
「あんた、ほんとわかりやすいガキね。
可愛い子はいじめたくなるってね」
広大が目をまん丸にして「違う!」と叫んだ。
それから学校まで「違うからな」と言って聞かなかった。
それから毎日、広大は朝、迎えにきてくれていた。
それが今朝、初めて途切れた。
違う、途切れたのではない。もう2度と繋がらないのだ。
広大が、私のことを、すき?
だって、意地悪でいつもバカにしてきて。姉弟にしか思えないよ。
慌てて靴を履いた。
昨日あんなにびしょ濡れになっていたのに乾いている。
母は偉大だ。
玄関先にカバンが置いてあった。
架純に預けっぱなしにして待たせていたのにちゃんと届けてくれたんだ…。
架純の優しさに涙がまた溢れてきた。
玄関を勢いよく開けた。
エレベーターを待っている時間はなかった。全力で階段を駆け下りて道路に出た時思わず息を飲んだ
「なか…がわせんぱい……」
先輩はこちらを向き少し微笑んだ。