yumeshosetsuol’s blog

ただのOLの趣味です。今は2つの別の話を同時進行で更新しています。カテゴリーに分けると読みやすいです。

第5話

入部して2ヶ月。梅雨前なのに
その気配を感じさせなくて、このまま夏になってしまうんじゃないかと思っていた。


でも架純は「梅雨の匂いがする。もうちょっとで梅雨入りだね」と言っていた。

架純は時々ちょっと変わったことを言う。

でも不思議とそれはいつも当たるのだ。

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マネージャーってドラマや漫画で見てたけど
可愛くて楽な仕事だと思っていた。
でも実際は全然違った。


まず、みんなが練習場に入る前に
みんなの水筒を回収。
そこに学校で買ったお茶葉の袋を入れて
ウォーターサーバーの水を入れる。

練習を始めてみんなの喉が乾くまでに
お茶になっている必要があるからだ。

お茶は日陰にまとめて置いて
昨日の泥だらけになったゼッケンを手洗いする。
そのまま洗濯機に入れてしまうと、泥ですぐ壊れてしまうのだ。
手洗いが終わったゼッケンを
とりあえず洗濯機に放り投げたら
次はメニューのタイムを計る。
メニューは時間で区切られていることが多く、ストップウォッチは必須で
取りに行く時間がもったいなくて最近は首からぶら下げている。

 

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部員のお茶の消費具合を見ながら
作り足し、練習風景を眺めながら
さっきまで使っていたトレーニング用具などを片付ける。
怪我した部員がいれば救護室に一緒に着いて行った。
そんなことをしていると部活の時間はあっという間に過ぎていく。
他の部活のマネージャーはもっとゆるいらしく
制服のままグランドにいる人もよく見かけるが
私たちはまだ春だというのに汗だくで、部員と同じジャージだ。


「がんばってー!」


なんて可愛く黄色い声援を送る余裕などなく、そういった"可愛い"マネージャー は
入部して1ヶ月で諦めてしまった。
前マネージャー以来、後任がいないのもわかる。
去年卒業したマネージャーの先輩はこれを3年続けたと思うともう頭が上がらないし、尊敬してしまう。


"可愛い"マネージャーがしたい子は辞めていくだろうなぁ。
そんなことを考えてため息一つついたとき、
ぼたぼたと雫が頭にかかり、思わず声を上げてしまった。

 

スリーポイント!」

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声のする方を見ると架純がいた。

どうやら手洗い場から洗濯機までゼッケンを投げたらしい。
その時私の頭上を通って雫が私の頭に降り落ちたようだ。

 

「何してるのー?落ちたら洗い直しだよ!」

 

架純はいたずらそうに笑いながら

 

「バスケやっててよかったー!」

 

と言った。


私たちにとって中学の青春の一部だったバスケはどうやらこのためにあったらしい。


「すず、せっかくサッカー部を1番近くで見る為に入部したんだから
ちゃんと先輩、見ないと」


架純が中川先輩を指差した。


「マネージャーいなくても部はもってたわけだから
そんな一生懸命しなくて大丈夫!

ほんと、すずは1つのことに熱中すると周りが見えなくなるんだから。
あ、私お茶作ってくるから用具の片付けよろしくね」


架純が指差したのは中川先輩がストレッチをしている近くに置きっ放しになっていた練習用具だった。


ありがとう、架純。今度アイス奢ります。いや、奢らせてください。
そう思いながら架純の背中に手を合わせた。

そして深呼吸をして、ゆっくり置きっ放しの用具の方に近づいていった。
こんな近くで先輩を見るのは
入部紹介の時以来かもしれない。
一歩、また一歩進めるたびに鼓動が高鳴る。

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その横顔はとても、とても綺麗で
滴る汗と真剣な目がさらに私の鼓動を早くした。

「どうかした?」

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私の目線に気づいた先輩が話しかけてきた。

さっきまで別のものを映していた目が私だけのものになった。

 

「あ、えっと、たくさん汗かいてるから
お茶いりますか?」

 

そう言うだけで精一杯だった。

 

「じゃあ、よろしく」


「はい!」

 

私は走ってお茶を届けた。


「ありがとう」


先輩が私の方を見て微笑んだ。

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「この間と同じだ」

 

思わず声に出してしまい、すぐに後悔した。
先輩は不思議そうに私を見上げている。

 

「あ、いえ、この前の自己紹介してくださったときと同じ
笑顔だなって…」

 

ほんと、それだけで…。
いろいろ言葉を追加していくが、全然うまくいかない。
どんどんしどろもどろになっていく。

そんな私を見て中川先輩は不審がるどころか
小さく手招きした。
お茶を渡したまま棒立ちになっていた私は
先輩の隣にしゃがんだ。

 

「広瀬ってほんと頑張り屋だよね」

 

「え?」

 

意外な言葉過ぎて聞き返すことしかできなかった。

 

「あ、いや、頑張り屋だなって思って」

 

先輩がストレッチをやめて私の近くに座りなおした。
肩と肩の距離は手のひらもない。少し揺れてしまえば触れてしまう。

 

「前、マネージャーしてくれてた人、大変そうでさ。
洗濯で手、荒らして。一生懸命ずっと支えてくれてたから
日焼けして俺たちより真っ黒になって。
広瀬みたいにここに、ストップウォッチのひもの跡ついてた」


そういうと先輩が私の首に触れた。
驚きすぎて声も出なかった。

 

「広瀬と有村のおかげで部員みんなが助かってる。
すごく感謝してる。でも、無理しすぎないでね」

 

首に触れていた手が離れた。離れたはずなのに触れられたところが
熱くて、ひりひりしている。

先輩はその手で近くにあった制汗剤に手を伸ばした。
青色がとても先輩に似合っていた。
軽く振って首に塗るしぐさがなんとも言えない。
そして先輩の匂いがした。
いつもすれ違うたびしたあの爽やか香りはこれだったのか。

 

「あの、それ、いい香りですね」


青色の制汗剤を指さした時肩が触れてしまった。
思わず後ずさる。

 

「あぁ、これ?よかったら使う?」
「いいんですか!」

 

勢いよく差し出した手に、数滴落としてくれた。
先輩の真似をして首に塗ってみた。
先輩の匂いだ。
なんだか、幸せに包まれた気持ちになった。

 

「これはやってるみたいだよ。色とか香りもたくさんあるし」


「買いに行きます。今日、買いに行きます!」

 

思っていたより大きな声が出てしまった。

言ってから後悔した。もしかして変とか思われてないかな…。

 

「広瀬って」


先輩が笑いながら言う。

 

「広瀬ってほんと、一生懸命で可愛いよね」

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耳を疑った。可愛い?本当にそう言った?聞き間違いではないだろうか。

 

「え、今、先輩…」

 

「広瀬ー!」

 

遠くから声がした。
部員の一人が足を押さえてうずくまっていた。

 

「ごめん、コイツ怪我したみたい!保健室まで一緒に行ってもらっていい?」

 

「あ!はい!」

私は後ろ髪を引かれる思いでその場を去った。

 

「ごめんね、邪魔した?」
部員の山田裕貴が申し訳なさそうに謝る。


「いや、いいんだ。広瀬、困ってたみたいだから」


山田は怪訝そうな顔をした。


「いや、どこからどう見たって…。

まあ面白いからいいか」


「何がだよ」


「何でもないよ。ほら、体冷えるぞ。混ざれよ」


「あぁ…」

 

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先輩が可愛いと言ってくれた。
聞き間違いでは無ければ、だけど。
怪我をした部員に肩を貸す。

 

「ほんとごめんな、広瀬」
「いえ、全然…」


今までの私なら天にも昇る気持ちで
私よりもずっと重い、この人もおぶって飛べる気がした。
でも、素直に喜べない。
卒業したマネージャーさんの話の時、
中川先輩の顔はほころんで、見たこのない穏やかな微笑みをしていた。
自己紹介の時とも違う、お茶を持って行った時の「ありがとう」とも違う。
なんて贅沢になってしまったんだ。
初めはただ、窓から眺めていただけじゃないか。
それが今ではこんなに近くで見ることができて、話しかけてもらえて、
気にもかけてもらえて、それに、可愛いって…。
なのに、このもやもやはだんだんと重くなり、硬くなっていく。
一歩、また一歩進むたびにそれは沈んでいき、心の底に鉛になって静かに落ちた。

 

「あ、雨」

 

少し離れたところで架純の声がした。
雨がじとじとした湿気を連れてやってきた。
きっと梅雨だ。梅雨入りしたのだ。

保健室から戻ると架純が駆け寄ってきた。

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「雨だから今日は練習早く終わるね」


「うん」


「せっかくだから帰り、寄り道しちゃおっか」


「うん」


そう言うと、架純が私の頭を撫でた。

架純は昔から、鼻と勘がとても鋭い。

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