6話
お疲れ様です、と周りから掛けられる声に返事をして、天馬は桃乃園コレクションのモデル控え室を出ようとした。
「馳さん、お疲れ様です」
扉の目の前で副会長の近衛が待っていた。
「近衛、お疲れ様」
いつものように天馬は微笑んだが、近衛は表情を固くしたままだ。
「馳さん、この廊下の先に多くの生徒たちが出てくる馳さんを待っています。他のモデルの生徒も巻き込まれると危ない、ということで、ちょうど手の空いた執行委員に呼びかけて出待ちの対応を行っているので、裏庭の方から抜けて頂けませんか」
生徒会長がコレクションに出るのは毎年恒例で人気なのだが、出待ちの列ができるというのは完全に想定外だ。
「わかった。対応は近衛に任せるよ。押し合ったりして怪我人のないようにしてくれ」
「はい」
ひとつ頷いた近衛はそのまま曲がり角の先の廊下に消えていった。
天馬は申し訳なく思いながらも、自分が出て行っては騒ぎが大きくなるだけだと、裏庭の方からこっそり生徒会室の方に向かうことにした。
桃乃園学院の敷地はかなり広い。
クラスがある教室棟を中心に、特別教室のある特別棟、部室棟、事務棟といくつかの棟が渡り廊下で結ばれている。
生徒会室は、学校運営にも関わることから、事務棟に置かれていて、コレクションの控え室になっている教室棟から事務棟に向かうにはいくつかのルートがあった。
裏庭に出ると、10月の涼やかな風が天馬の頬を撫でた。ステージのライトや観客の熱気に火照った顔に心地良い。
その時、近くで人の声がした。
思わず警戒して歩みを遅くする。
「━━━からさぁ、言ったじゃん!」
「━━━なこと言わないでよ〜」
聞こえてくる声は、女子二人。片方はどうやら怒っているらしい。
そして、どこかで聞き覚えのある声だった。
ここは在学する学院内なので、聞き覚えのある声がするのは何もおかしいことではない。
「ごめんって、愛莉!」
天馬の頭の中に人物が閃いたのと、目の前にその人物が現れたのは、ほぼ同時だった。
斜め前方から足早に飛び出してきた少女とぶつかりそうになり、思わずその体を受け止める。驚きで見開かれた彼女の目と、視線が交わった。
くりっとした大きな瞳が零れ落ちそうだ。
「天馬くん!」
愛莉の後ろにいためぐみも、驚きで声を上げる。
「大丈夫?怪我は?」
天馬がどこかぶつけてないかと問うと、愛莉はぶっきらぼうに「ない」とだけ返事をする。そして不機嫌そうに天馬から体を離した。
不機嫌を絵に描いたような顔をしている愛莉に対して、めぐみはほっと安心したように笑いかけてきた。
「ちょうどよかった〜!天馬くんを探してたの」
なんでも、天馬を探して校内を歩いているうちに、めぐみの正体が一瞬バレそうになり、慌てて人気のない方へ逃げてきたのだという。とりあえず逃げてきたので、現在地もどっちに行けばどこに行けるのかもわからず、迷っていたらしい。
「バレるから騒ぐなって言ったのに」
めぐみと一緒に逃げたあげく、迷子になり、よくわからない道を歩かされて、愛莉は相当怒っているようだった。
「道がわかるところまで送っていくよ」
天馬が苦笑しながらそう言うと、めぐみは明らかにほっとしたように眉尻を下げた。
「本当に学園祭に来てくれたんだね」
天馬が話題を変えようと、未だにむすっとしている愛莉に笑いかける。
「何よ、嘘だと思ってたの?」
「いや、君は英徳のC5だから」
火に油を注ぎかけた天馬は、慌てて訂正した。
「愛莉は別に、晴や海斗ほど英徳の品格がどうとか、こだわってないから」
愛莉がC5に入ったのも、昔から仲の良い彼らと、特に晴と一緒にいるためだ。庶民狩りやら何やらも、単純に面白そうだからというのと晴がやると決めたから、である。
「そっか。でも、二人とも来てくれてありがとう」
場所を変えようと、とりあえず二人を事務棟の方へ案内する。
天馬の今の状況を話して、二人には周りが落ち着くまで、少しの間事務棟にいて欲しいことを伝えた。
事務棟にある客室に案内し、お茶を出す。
「ごめん、すぐに教室の方に案内してあげられなくて」
「誰かさんのせいで走るハメになって疲れてたから、愛莉はちょうどよかった」
そう言って、愛莉は出されたお茶を遠慮なく飲む。
「…このお茶、おいしい」
今までの不機嫌はどこへやら、出されたお茶が口にあったのか、愛莉は急に機嫌が良くなった。
「ほんとだ、おいしい!」
続いてめぐみも同意の声を上げる。
「それは良かった。僕もここのお茶は気に入っていて、お客様用のお茶に取り寄せてるんだ。お代わりもあるよ」
「ほしい」
愛莉がずいっと空になった湯呑みを差し出した。
わかりやすい愛莉の行動に、天馬は小さく笑いながら湯呑みを受け取って、2杯目のお茶を入れる。
それから、三人は本当に他愛のない話で盛り上がった。
めぐみとは音と付き合っていた頃、晴と4人でダブルデートをしたが、天馬とめぐみがそこまで話すことはなかったし、愛莉とは音やC5のいるところで顔を合わせる程度だったから、腰を落ち着けてちゃんと話すのは本当に初めてだった。
「そろそろ送っていくよ」
「…お茶、おいしかった」
「天馬くん、ありがとう」
こうして、学園祭は奇妙な三人の巡り合わせと共に終わっていったのであった。