第20話(Bad End)
朝、目覚めると泣いていた。
また、大志くんの夢を見ていた気がする。
私はカーテンを開けて陽を浴びる。
薬指にはめられた指輪とダイヤが陽に反射して眩しい。
この指輪をはめてもらってもう、4年経つ。
「おはよう、大志くん」
私は写真の大志くんに指輪を透かしながら言った。
その写真の前には赤いミニバラを2本生けていた。
その意味はー…。
看護師2年目、一人暮らし1年目。
まだまだどれも新人だ。
今日着ようと決めていた服を洗い忘れていて、トップスがない。
Tシャツならあるが、もうそろそろ寒い季節だ。
私はとりあえずTシャツを着て、上に薄いニットを羽織った。
昨日の晩仕込んだお弁当を持って家を出る。
夏は急に終わり少しだけ凛とした空気が私を包む。
もう少しで冬が来る。
ねぇ、大志くんはどこにいるの?
「共有することは以上です。なにか全体で共有することのある人いますか?」
隣の同期の高畑充希がおずおずと手を挙げる。
「あの、304号室の柄本さんですが、
隠れてタバコを吸っているようです。
担当の私も気をつけますが、見かけた際は、皆さんもやめるよう言っていただきたいです」
婦長が「またか~」と、頭を抱える。
度々入院して来る柄本さんというおじさんは、脳血管の病気なのに私たちに隠れてはタバコを吸ったりお酒を飲んだり、まるで隠れんぼをするいたずら好きの子供のような人だ。
「ほんとあの人はそれを楽しんでるからみんな、見かけたら注意してね」
婦長が言う。
「あ!重要なこと!!最後にとっておこうと思って忘れてた!
えー、今年で2年目?だよね?
今月で松本穂香が寿退職することになりました!前出て!」
看護師全員がわく。
「えー。今月で終わりになります。
みなさんにたくさん相談してご存知かと思いますが本当に山あり谷ありでした。
ですが先日、プロポーズを受けて結婚することになりました。
本当にみなさんにはよくしていただいてとても楽しい看護師生活でした。
ありがとうございました」
みんなが拍手する。
同期だから相談も受けていたし、
プロポーズされたことも知っていた。
心から「おめでとう」と言った。
「穂花幸せそう」
充希満面の笑みを浮かべながら呟いた。
「そうだね」
私も微笑んだ。
「結婚したら名前はどうなるのー?」
からかい半分のヤジがとぶ。
「松坂穂花です」
「やっぱ松坂くんとか!」
みんなが笑った。
婦長が手を叩く。
「ほんと、今日もみんなおしゃべり!
今日早めに送別会やるよ!何が起こるかわかんないからね。
参加する人は私まで!
その笑顔で今日も頑張ってください!
朝礼は以上です!」
みんなが持ち場に戻る。
充希が「参加する?」と聞いてきたが私はかぶりを振った。
「すずは確か何から目標があってお金貯めてるんだっけ?」
私は頷く代わりに笑顔で返した。
今日は穂花と私は一緒に検温から始まった。
体温計をアルコール綿で拭きながら、私は穂花に気になったことを聞いた。
「穂花、結婚するって聞いてたけどまさか退職すると思ってなかったよ。
松坂くんの意向?」
穂花がすこし言いにくそうにこちらを見る。
「もしかして、おめでた?」
私はそっと近づいてできるだけ小さな声で聞いた。
穂花が照れくさそうに頷く。
「まだ安定期入ってないからみんなには内緒にしてね」
思わず大きな声が出そうになって両手で口を押さえた。
そして押し殺し押し殺し、「おめでとう~!」
と、ハイテンションで、でも頑張って小声で言った。
穂花の幸せそうな笑顔に私はとても癒された。
朝晩のため、夕方に仕事が終わり、
私は架純が働く保育園へ向かった。
小さな保育園だけれど園児はたくさん。
看護師の免許を持っているため、架純と夜ご飯を一緒に食べる日は、ここの保健室の先生みたいなことをしていた。
だが、ほとんど架純としていることは変わらない。
「ごめんね、すず!もう終わるから」
「全然気にしないで。私子供好きだから」
そう言って「すず先生~」と、笑顔で寄ってきてくれる子供達と遊び始める。
架純はそれを見ながら保護者との連絡ノートを書いていた。
19:00過ぎ、やっと帰れるようになった。
本当は18:00上がりだが、親御さんの残業は予想できない。
思っていたよりたくさんの園児のお迎えが来ず、架純は朝番だが思ったより時間がおした。
「大変そうだね」と、気遣うと「大変だけど、楽しいよ」と、明るく笑っていた。
本当に架純とっては天職らしい。
「さて、今日も頑張ったことですし、明日はふたりとも休みだし、すずの家でぱーっと飲み明かしますか!」
架純が肩を組んできた。
「ごめん架純、私お金…」
「何言ってんの!私のおごりに決まってるでしょー!」
架純がピースサインを向けてくる。
架純は福士くんと同棲していて、家賃は半分だが、生活費は向こうが全部払ってくれているらしい。
とは言っても福士くんは4年生大学だ。
友達ともあまり遊ばず、勉強とアルバイトばかりしている。
男として、架純を養いたいという気持ちが強いらしい。
スーパーでお酒と夜ご飯を買った。
夜になったらお惣菜叩き売りされていた。
欲張りすぎて私の家に着く頃はふたりともヘトヘトだった。
「ただいま」「おじゃましまーす」
架純が自分の家のように入っていった。
お酒の缶がふたつほど空いた頃、架純が唐突に聞いてきた。
「で、あと何円なの?」
私は食べかけの唐揚げを置いて棚に入れいる通帳を取り出す。
「目標達成!」
「うそ!おめでとう!!こんな0いっぱいの通帳見たことない!」
架純が目をまん丸に見開く。
「架純、結婚するならこの何倍もお金いるんだよ」
はい、と少ししゅんとしてみせる架純。
でも目が輝いていた。
いよいよだ。
毎日自炊して、飲み会もできるだけ断った。
服もあまり買わず、アクセサリーもほとんど持っていない。
それもこれも全部、貯めたお金であるところに行くためだ。
「カナダはこれから寒いよ。スキーウェアがいるかも」
架純がからかってわき腹をつついてくる。
遂に、だ。ついにお金が貯まった。
行くところはただひとつ、カナダのブリティッシュ・コロンビア州。
大志くんが通っていたビクトリア大学があるところだ。
「で、いつ行くの?」
「んー。明日!」
架純が驚きすぎて「明日」の反芻さえできない様子だ。
「もう待てないの。4年も待ったんだもん」
架純が少し切なそうにこちらを見る。
「じゃあ今日は送別会も兼ねてだね!」
架純が新しいお酒を開ける。
「いやいや、旅行だから。帰ってくるから」
「まぁまぁそんなこと言わず…」
架純が手酌してくれた。
その手は震えていて、顔を見ると泣いていた。
「何で架純が泣くの。寂しいの?」
架純の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「違うよ、すずが泣いてるから」
私は反射的に頬を拭った。
零れ落ちる涙は雫になって両手を濡らした。
「なんで?私、幸せなのに」
そう言うともっと涙が止まらなかった。
「だってあれからまだ4年しか経ってない」
架純が大粒の涙を零しながら言う。
自分にかけていた呪いがパキパキと音を立てて割れた。
あれだけ『もう』4年。だと言い聞かせてきたけど、
「そうだね、まだ4年『しか』経ってないもんね」
私も涙が止まらなかった。
写真の中の大志くんは相変わらず穏やかな微笑みを浮かべている。
二本の赤い小さなバラが呪いが解けたからか、いつもより色鮮やかに見えた気がした。
その意味は、『この世界はふたりだけ』